2015年12月16日水曜日

当たり前にそこにある幸せ、見落としていませんか。

年の瀬ということもあるのかもしれませんが、ちょっと最近自分の中でいろいろ整理モードになっています。
仕事も、物も、そして考えも・・・。

先日、幸せが湧き上がってきた体験を書きましたが、ちょっとそれに関連して。

欲しくて欲しくてそれを手に入れるために必死でがんばって、ようやく手に入れたものがあるとします。でも、それがある状態に慣れると、ひどい場合なら手に入れた途端、関心はほかの欲しいものに移っていませんか?

身近な所で言えば、例えば服やかばん。欲しくてお金ためて買っても、それが自分のものになった喜びを、使える歓びを、何年も感じている人はどのぐらいいるのでしょうか。数年後にはそれがあるのが当たり前になって、もう興味・関心はほかの服やかばんに向いていたりします。

夢もそうです。どうしてもやりたいことがあって、両親の反対を押し切ったり、お金や時間を費やしてようやくそれでご飯が食べられるようになったとします。でも、その状態が日常になり、やがて数年過ぎたとき、日頃の忙しさやマンネリ化などの影響で、そのことがやれている歓びを忘れてしまっているかもしれません。

人間関係にも、同じことが言えます。
せっかく出会えたお相手。中には合コンや婚活や、いろいろしてようやく巡りあえた方もいるかもしれません。でも、恋人や夫婦でいる時間が長くなると、その人と一緒にいるのが当たり前になって、一緒にいられることがどんなに奇跡的で嬉しいことなのか、感謝の気持ちを忘れてしまっている場合もあります。友人や親子関係ならなおさらです。

そうやって考えてみると、今私が持っているもの、当たり前に私のそばにあるもの、いるものたちがなんと多く、そしてそれらがある状態が普通になっていることに、もっとびっくりします。

なくなって初めて知る、そのありがたみ。

でも、なくなってしまう前でも、つまり、それがある今の状態でも、それがあることがいかに幸せか気付くことができれば、今よりもっと幸せを感じたり大切にすることが出来るはずです。

五体満足の体しかり、健康しかり、きれいな空気や水しかり、命しかり。
日本人に生まれてきたことも、住む所と食べ物があることも。

当たり前すぎてそれに慣れてしまって見えづらいかもしれませんが、これからも新鮮な気持ちでこういう一つ一つの当たり前にある奇跡を発見して、感謝していきたいと思うのです。

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